「移住を生活する」という芸術活動をされている「村上慧」さんという方がいらっしゃいます。
発砲スチロールで作った小さな家を背負って、移動生活をされている方です。
なんでも、移動した先で土地のオーナーから許可をもらい、
そこに発泡スチロールの家を置いて、泊まるのだそうです。
そして、土地を借りたお礼として、そこのお家の絵を描いていらっしゃいます。
実行できるのがすごい
彼が投げかけているのは、
「必要以上に物や金を蓄えるために生きる日常について考えてみよう」
ということです。
その気持ち、私にも良~くわかります。
家を作るという業界にいたからこそ、
- 何故?住まいにそこまでのお金をかけるのか?
- 背負うものが大きくなればなるだけ、must(ねばならない)が増えるのに・・・。
ずっと、そう感じてきました。
でも、何もできませんでした。
(せいぜい、おんぼろの中古を買ったぐらいです)
ところが、
彼は違います。
いろんなところを行脚して、実行しちゃってる。
それが、すごいなぁ・・・と。
定住やマイホーム=幸せ?
もちろん。
彼は芸術活動としてやっているわけで、
だから、私たち自身が、同じことを実行する必要はどこにもありません。
ただ、
- 定住することだけが幸せなのか?
- マイホームを持つことだけが良いことなのか?
自分なりに、考えてみるべき良い時期=きっかけになると思います。
なぜなら、
今年は、新型コロナウィルスで、社会に大きな変化が起きているからです。
すでに、経済はガタガタ、
雇用も住まいもなんともならない人がたくさん出てきています。
実際のところ・・・
ほんの50年前の日本の暮らしを思い出してみれば、
なんで、こんな風になっちゃったんだろう?
そう思わずにはいられません。
確かに、あの頃、私たち庶民の暮らしは、貧相なものでした。
- 地元のものと旬のものだけを食べ、
- 不要不急の外出なんて、したくてもできない人がほとんどでした。
- 駅のトイレは、ほんっとに、汚かったし、
- 子供は、皆、青っ洟たらしていて、
お世辞にも、豊かな暮らしをしているようには見えませんでした。
でも、住む家なんて、どんな風でも良かったし、
食べてはいくだけなら、なんとかなっていたんです。
もちろん、時代的に良かった・・・という事情はあるにしても、
誰もが皆、今よりもずっと軽やかに生きていた気がします。
移住する自由を知ろう
今は、新型コロナウィルスの感染拡大やリモートワークによって、
新たに移住を考える人も、増えてきています。
ただ、移住=地方移住=定住と捉えている人は多く、
私自身は、そこに、ちょっぴり違和感を覚えています。
移住=定住と仮定するからこそ、
人は、自分の欲に歯止めがかからなくなるのです。
何度も言うようですが、
どんな家も、所詮は「仮の宿」です。
もちろん、移住先の地元のルールにのっとって暮らすことは当然としても、
自分の心まで、その場所にくくりつける必要はありません。
まとめ
とは言え、
いくら「仮の宿」であっても、
こだわりたいことは、人それぞれ、あると思います。
私自身も、
- 汚い和式のポッチャントイレで用を足したくはないし、
- 冷たい水で食器洗いなんてしたくはありません。
ただ、
便利さや綺麗さのために、暮らしの軽やかさまで犠牲にしたくないなと。
そのためには、
他人の価値観に流されることなく、
- 自分は何が好きで、何が大嫌いで、何が我慢できるのか?
- 本当に欲しいものは何なのか?
- 自分らしいバランスはどこにあるのか?
をちゃんと知ることです。
コメント