和室にある襖。
以前も書いた気がしますが、
私は、あまり襖が好きではありません。
どれだけ、頑張っても、襖がおしゃれになる・・・
なんてことはない気がするからです。
今の襖はまがい物?
もともと、襖というのは、和紙を幾重にも貼って作っていくものでした。
でも、そんな襖、庶民にはとても高嶺の花です。
だから、
私たちが今使っている襖のほとんどは、
ぺりペリの安いベニヤ板を下地にした、まがい物の襖です。
別に、下地自体は、透けて見えるわけではないのだけれど、
やっぱり、本物とまがい物では持っているポテンシャルが違うと思うんですよね。
だから、
「私は自分の家に襖を使うことはない。」
ずっと、そう思っていました。
襖に目を見張った瞬間!
ところが。
先日、たまたまNHKで、高野山の金剛峯寺の襖絵を見たんです。
これが、本当に素晴らしくて!
同じ絵なのに、美術館で見るのとは、全然違う。
そんな感じを受けたんです。
その襖絵を手掛けたのが「千住博さん」です。
番組の中で、ご自身もおっしゃってました。
誰かが描き加えたみたいだ・・・と。
で。
ふと、思ったんです。
私たち庶民は、もしかしたら、襖の使い方を間違ってるんじゃないか?と。
唐招提寺と東山魁夷
そう思ったら、いてもたってもいられなくなり、
一番好きな東山魁夷のことを思い出しました。
で。ググりました。
「東山魁夷」は、確か、唐招提寺の襖絵を描いています。
残念ながら、本物はまだ見れていないので、せめて、写真を見たい!と。
そして、確信しました。
もちろん、襖の絵も素晴らしいんです。
でも、同時に、建物もまた、素晴らしい!!
つまり、どちらが欠けてもダメで、
襖と建物、どちらも、その恩恵を受けている・・・
そんな感じを受けました。
襖は単なる間仕切りにあらず
もちろん、私たちが住む家と、有名なお寺では、桁が違います。
- まず、その大きさ。
- そして、使ってある材料。
- さらに、手間とお金。
- もっと言えば、歴史。
そして、襖だって、ちゃんと本物です。
でも。
たとえ、庶民の家であっても、
貧乏人の住まいであっても、
そして、たとえ、まがい物の襖であっても、
襖を単なる間仕切りとして捉えなければ、
- 美しくて
- おしゃれで
- すてきな
襖になるかもしれない。
そんな可能性を今、感じています。
まとめ
和室の間仕切りや押し入れの戸には、襖を立てるのが普通。
私たちができるのは、せいぜい襖の柄を選ぶことだけ。
私は、ずっと、そう思い込んでいました。
でも。
襖と部屋が一体化して、お互いがお互いを引き立てる実例を見てしまったら、
部屋の用途に合わせて、襖をキャンバスに見立ててみたいな・・・と思い始めました。
ちなみに、私の暮らしのリストには、本の部屋と仕事部屋が入っていますので、
まずは、この二つの部屋に、襖を使ってみたいですね。
もっとも、その前に、新しい古い家を手に入れなきゃなりませんが・・・(汗)
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