空き家になっている実家に最近、よく通っています。
その理由は、娘が仕事場(?)趣味の部屋(?)として使いたい!
と言い出したからです。
それに合わせ、私もお昼など一緒に作って食べているのですが、
空き家と言っても、一応、電気と水道は来ています。
冷蔵庫もあります。
コンロはIHなので、使えます。
ただ、お湯は出ません。
という状況です。
正直、最初は、面倒だったんです。
だって、住んでいる家とは全然、勝手が違うわけですから。
でも。
最近、いろんなことに気づき始めました。
食器って、そんなに要らないんだな
空き家ではあっても、一応「家」なので、
つい、アレもコレも欲しい!と考えてしまいがちです。
そこで、実家を「家」ではなく、「キャンプ場だ」と考えることにしました。
そしたら、なんて、便利なの?とめちゃくちゃ感動しております。(笑)
比較対象を変えただけで、途端に気持ちまで変わるから不思議です。
しかも、この「キャンプ場」発想から、気づいたことがあります。
それは、
ってことです。
だって、食器って毎回洗うわけだから~(爆)
そう思ったら、空き家の実家に鎮座している「食器棚の虚しさ」にも気づきました。
こんな大きな食器棚、2個も3個もいらんぜよ。
お湯が出なきゃどうする?
でも、お湯が出ない空き家での、食器洗いはつらかろう?
そう思うでしょ?
ところが、人間、必要は発明の母ですね。
最近は、ウォータージャグに沸かしたお湯と水を入れ、適温にしてから、
それを、ちびちび、食器洗いに使っております。(食器はお湯の方が汚れが落ちやすいですもんね)
ただし、ジャージャー洗い流せるほどの量はないので、その時は、ゴム手袋を使って水道水を使います。
実際、手さえ濡れなければ、水でも意外に冷たくない!んですよ。
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不便さに触れてみることが大事
先日の「給湯器が品薄問題の記事」では、敢えて不便さを求めてみる。
なんてことを書きましたが、
便利な生活に慣れすぎた私達の場合、とりあえず、少しずつ不便さに慣れていくのが良さそうです。
そういう意味で、空き家になっている実家は、格好の練習場所です。
もし、ダメなら、逃げ帰ってもいいわけだし。(笑)
まとめ
人の気持ちは日常の中の小さな取るに足りない経験であっても、少しずつ変わっていくものですね。
おかげで、今までは、絶対に欲しい!と思っていたものが、
ずいぶんと、変化してきてしまったことに驚いています。
う~ん。やっぱり、人間は先入観に縛られるのかね・・・。
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